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主のあとに従う 20190609 大西牧師 [礼拝メッセージ]




贖いの十字架 ローマ人への手紙3章19-31節

神がこの世を創造された時、それぞれの居場所を整えてから、創造された。水には、水の生き物、地の上、天の大空には、鳥、地には、生き物を種類ごと、家畜、這うものとに創造された。
最後に神は、人を創造された。人はご自身のかたちとして創造された。造られたものは、それぞれの居場所で生活することが一番ストレスなく、よい状態であると言える。
「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」(ローマ3:24)
人の居場所は、主の御許である。人は誰もが「罪」を有している。それゆえに、主の御許に近づくことができない。しかし、キリスト・イエスの贖い(十字架の身代わり)によって、御許に近づくことが赦されている。「価なしに」である。
「幸いなことよ あなたが選び 近寄せられた人 あなたの大庭に住む人は。私たちは あなたの家の良いもの あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。」(詩篇65:4)
主の恵みに心から感謝しよう。

20190609 ハンナの祈り 第1サムエル1ー2章

紀元前1100年頃、士師時代の弱い部族連合から王制への移行期に決定的な役割を担ったのがサムエルである。その誕生物語がここに描かれる。聖所のあるシロから西に20余㌔双岡を意味するラマタイムに、エルカナと不妊であったハンナの間に、第2妻ペニンナとの葛藤の末に、奇跡的に誕生した。
ハンナの悲願の「祈りと賛歌」は歴史に残るものとなった。夫の愛を得たい。それ以上に、神の役に立つ器を世に送り出したい。その祈りは私達に語り掛ける。
①神への信頼を嘲笑うペニンナ、背後にある真の敵(ベリヤアル=悪魔)を神は遂に、裁き、勝利された。
②涙もて、魂を注ぎ出し、正直に祈り、神に問題を委ねる決心をした。祭司エリの励ましをも得て、ハンナは祈る前後で変えられた。
③神の主権への信頼と感謝が祈りには溢れている。子を授けて下さるなら、神に捧げますとのナジル誓願の通り「サムエル」は預言者(3:20)、最後の士師として生涯を主に献げた。(1:28)母に似て祈りの人であり(詩編99:6)、祝され、用いられた神の器であった。(ヘブル11:32)

覚えていまっか  ヨシュア記1章8節    増田喜治兄 [礼拝メッセージ]






母の心 使徒の働き20章16-35節

使徒パウロは第三回の伝道旅行の際、エルサレムへの旅路の途中、ミレトの港町において、エペソの長老たちと時間を過ごした。パウロは御霊によって「なわめと苦しみ」が待っていることが示されていた。エペソの長老たちと直接会って話すのも最後であることも感じていた。エペソの教会は、パウロが設立当初から関わり続けている教会である。パウロは子を愛する母のように健全な成長を願い、言葉を送っている。しかし、パウロが関わることのできない時がやってくる。パウロはエペソの教会の成長を「神とそのみことば」にゆだねている。確かに、エペソの教会にとってパウロは師と仰ぐべき存在である。しかし、真の意味で人々の心に働きかけ、回心し、キリスト・イエスの救いの中に入れたのは、御霊の働きである。「受けるより与える方が幸いである。」と主イエスのことばをもって、エペソの長老たちを励ました。それぞれに与えられた賜物を生かし、主に仕えるようにとの勧めである。私達も「みことば」によって、強められよう。一人ひとりの信仰が、教会を建て上げていくのである。

4月21日 トロアスの教会  使徒20章1-12節

パウロはエルサレムへ向かう道中、トロアスで7日間滞在し、日曜日の礼拝後出発することにしていた。しかし、その最中、青年ユテコが三階から転落してしまった。ユテコは決して居眠りをしたかったわけではない。彼の座っていた場所は、窓であり、むしろ、寝ないためにその場所に腰かけていたのであろう。しかし、仕事で疲れた体に室内の悪い空気、長い話は酷であったようだ。耐えきれず眠りこけ、転落した。人々が抱き起してみると命は尽きていた。しかし、パウロは降りて行き、ユテコの上に身を屈めると「心配することはない。まだいのちがあります。」とった。ユテコは、確実に絶命していたが生き返った。人々は、このことでひとかたならず慰められた。
「もうおしまい。」そんな時がある。しかし、そこから起きあがらせるのが私達の主である。誰もが、イエス様の十字架上の死を見て絶望した。しかし、主は蘇られた。どんなに深い闇でも開けない夜はない。主のよみがえりを共に喜ぼう。ここに希望がある。

「分岐点に立つ」 申命記 29 、30章

モーセはモアブの野で約束の地を前に訣別説教を遺し、主権者なる神と神の民との契約更新をした。三部では契約遵守の命令と祝福と呪詛の選択の分岐点に立つ民に、命の道を選べと言われる。
将に、人生の旅路は選択の連続だ。失敗すれば真実に悔い改め、罪から離れる。弱さを抱える自らを深くわきまえ、御言葉と御霊に頼み、祈り深く、上よりの加護を求める謙虚さが大切である。頭でなく、全身全霊をもて聴従する。信仰の先達を如何に忍耐深く主が取り扱われるかを見て励まされる。主に帰りさえすれば、絶望はない。そこには希望がある。遥か彼方ではなく、既に十字架の福音により、あなたの元に届けられた愛がある。「今日」の信従を日々告白しよう。全知全能全聖全愛の神こそ私達の恃むべきお方だ。
ハレルヤ!




申命記  「約束の地にある危険」20190407

聖書全体の流れを思い起こせたら、それぞれの箇所をもう少し理解できるようになる。例えば、申命記は、40年間の砂漠の時期の最後の方で、約束の地に入る直前に起こった。砂漠での生活は貧乏で放浪し、砂ばかりで、水は少なく、危険も多くて、蛇や戦闘もあったそうだ。
その後、神様がアブラハムに約束された通り、カナンに入ることを許された。カナンはどのような所だろう? 多くの民族が暮らす、豊かな場所だったそうだ。申命記6:10−11を読もう。食べ物、金銀、布、羊、牛、偶像などにあふれている場所だ。このような豊かな所には危険が多かった。物や像などを神様の代わりに愛する可能性があったからだ。
砂漠での毎日では、神様に頼っていたのに、神様はいらないと思い込み、目に見える物や偽物の神々を拝む危険があった。申命記はモーセの最後の教えで、彼は間も無く死ぬことも、約束の地の危険もわかっていたので、一番大事なことをイスラエル人に教えた。
このような御言葉は、私達とどう関わっているか? 私達も、約束の地のような豊かな地域に住んでいる。私達も目に見える物を称えがちで、神様から離れる危険があるので、モーセの言葉を学ぶ価値がある。申命記には、この三つの言葉が何度も何度も書かれている。聞きなさい、覚えていなさい、守り行いなさい。

20190331 房を作らなければならない  ミシェル宣教師 [礼拝メッセージ]

申命記22章12節 




20190310「誓いの話」民数記30章、伝道5:4、5

☆契約の神は真実な御方、契約の民に対して誠実を求められる。
「バプテスマは…正しい良心の神への誓いである。」 Ⅰペテロ3:21
あなたは御聖霊の助けにより、十字架の犠牲をもて罪を贖われた主に誠実に応答し続けているだろうか?「約束された方は真実な方ですから、私達は動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」(ヘブル10:23ー25)これが継続の秘訣である。さて、今日の御言葉は誓いの秩序を教えている。
①独立していない未婚女性や妻の立場にある場合(3ー8節)
②夫のいない女性(死別、離婚 )の場合 (9節) に拘束を解かれたり、遵守すべき決まりが定められている。実は、父や夫の権威を強調するかに見えて、寧ろ、女性が父や夫に仕える任務を、奉献や物断ちより評価しておられることを示している。
☆主は約束の成就者 Ⅱコリント1:15ー24
①誓願は自発的であり、表明すべきであり、拘束力をもち、悪用乱用は非難される。(申命  23:21ー23、箴言20:25、マタイ5:4ー6、ヤコブ5:12) パウロは満願の事例を示している。(使徒18:18)また、誓願実行は報いを伴う。(Ⅱ歴代15:12ー15)互いに励まし合おう。
②禁止された誓い
偶像や被造物の名による場合や偽りの誓いは禁止された。(マタイ5:34ー36、レビ19:12)
脆弱性と愚鈍さをもつお互いが絶えず御霊なる主に助けられ、御言葉により聖別されて軌道修正されてこそ、御旨に叶わしめて頂くことが出来る。単独静思やグループ静思、礼拝が大切な所以である。(ヨハネ15:4、5、17:17ー21)

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