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「分岐点に立つ」 申命記 29 、30章

モーセはモアブの野で約束の地を前に訣別説教を遺し、主権者なる神と神の民との契約更新をした。三部では契約遵守の命令と祝福と呪詛の選択の分岐点に立つ民に、命の道を選べと言われる。
将に、人生の旅路は選択の連続だ。失敗すれば真実に悔い改め、罪から離れる。弱さを抱える自らを深くわきまえ、御言葉と御霊に頼み、祈り深く、上よりの加護を求める謙虚さが大切である。頭でなく、全身全霊をもて聴従する。信仰の先達を如何に忍耐深く主が取り扱われるかを見て励まされる。主に帰りさえすれば、絶望はない。そこには希望がある。遥か彼方ではなく、既に十字架の福音により、あなたの元に届けられた愛がある。「今日」の信従を日々告白しよう。全知全能全聖全愛の神こそ私達の恃むべきお方だ。
ハレルヤ!




申命記  「約束の地にある危険」20190407

聖書全体の流れを思い起こせたら、それぞれの箇所をもう少し理解できるようになる。例えば、申命記は、40年間の砂漠の時期の最後の方で、約束の地に入る直前に起こった。砂漠での生活は貧乏で放浪し、砂ばかりで、水は少なく、危険も多くて、蛇や戦闘もあったそうだ。
その後、神様がアブラハムに約束された通り、カナンに入ることを許された。カナンはどのような所だろう? 多くの民族が暮らす、豊かな場所だったそうだ。申命記6:10−11を読もう。食べ物、金銀、布、羊、牛、偶像などにあふれている場所だ。このような豊かな所には危険が多かった。物や像などを神様の代わりに愛する可能性があったからだ。
砂漠での毎日では、神様に頼っていたのに、神様はいらないと思い込み、目に見える物や偽物の神々を拝む危険があった。申命記はモーセの最後の教えで、彼は間も無く死ぬことも、約束の地の危険もわかっていたので、一番大事なことをイスラエル人に教えた。
このような御言葉は、私達とどう関わっているか? 私達も、約束の地のような豊かな地域に住んでいる。私達も目に見える物を称えがちで、神様から離れる危険があるので、モーセの言葉を学ぶ価値がある。申命記には、この三つの言葉が何度も何度も書かれている。聞きなさい、覚えていなさい、守り行いなさい。

20190331 房を作らなければならない  ミシェル宣教師 [礼拝メッセージ]

申命記22章12節 




20190310「誓いの話」民数記30章、伝道5:4、5

☆契約の神は真実な御方、契約の民に対して誠実を求められる。
「バプテスマは…正しい良心の神への誓いである。」 Ⅰペテロ3:21
あなたは御聖霊の助けにより、十字架の犠牲をもて罪を贖われた主に誠実に応答し続けているだろうか?「約束された方は真実な方ですから、私達は動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」(ヘブル10:23ー25)これが継続の秘訣である。さて、今日の御言葉は誓いの秩序を教えている。
①独立していない未婚女性や妻の立場にある場合(3ー8節)
②夫のいない女性(死別、離婚 )の場合 (9節) に拘束を解かれたり、遵守すべき決まりが定められている。実は、父や夫の権威を強調するかに見えて、寧ろ、女性が父や夫に仕える任務を、奉献や物断ちより評価しておられることを示している。
☆主は約束の成就者 Ⅱコリント1:15ー24
①誓願は自発的であり、表明すべきであり、拘束力をもち、悪用乱用は非難される。(申命  23:21ー23、箴言20:25、マタイ5:4ー6、ヤコブ5:12) パウロは満願の事例を示している。(使徒18:18)また、誓願実行は報いを伴う。(Ⅱ歴代15:12ー15)互いに励まし合おう。
②禁止された誓い
偶像や被造物の名による場合や偽りの誓いは禁止された。(マタイ5:34ー36、レビ19:12)
脆弱性と愚鈍さをもつお互いが絶えず御霊なる主に助けられ、御言葉により聖別されて軌道修正されてこそ、御旨に叶わしめて頂くことが出来る。単独静思やグループ静思、礼拝が大切な所以である。(ヨハネ15:4、5、17:17ー21)

20190317 神の義 ローマ人への手紙1章1-17

ローマ人への手紙は、「パウロは奴隷」という単語から始められている。「しもべ」という言葉は、「奴隷」と同じ言葉である。ローマの人々には、どのように届いたであろうか。けっして、耳障りの良い言葉ではない。
当時のローマは、人口の約25〜30%を奴隷が占めていたと言われている。パウロは、ローマの市民権を所有していたので、「しもべ」という言葉の意味をよくわかっていたであろう。もちろん、「奴隷」であっても、都市部と農村部では、扱いが違い、能力の高い奴隷は、主人から責任ある仕事を任されたりもした。
しかし、ここで大切なのは、「主人が誰なのか」ということである。パウロは、イエス・キリストから選び出され、使命を与えられ、使徒として召されたという事実である。パウロは、「福音を伝える」という使命を「恥とはしない」と宣言している。「神の義」とは、「神様ご自身が義なる(正しい)お方」であるという実質概念と、「正しい関係もしくは回復」という関係概念がある。
パウロは、かつては、福音を「恥」として迫害していたが、イエス・キリストと出会い、悔い改めて、僕となった。自分の義ではなく「神の義」を証しする者へと変えられた。「福音は…信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」(ローマ1:16抜粋)

20190317 慢心を戒む 大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]






20190303 誓願を果たす 大槻主任牧師 [礼拝メッセージ]




20190331 神の怒りと悲しみ ローマ人への手紙1章18-32節

「最初からやり直す」なかなか面倒なことである。誰もが経験したことのある「ボタンのかけ違い」は、下の方をいくらそろえても、最初からやり直さなければそろうことはない。
1章18-32節には、罪ある人の姿が描き出されている。読むのもはばかる言葉が並んでいる。しかし、元々は「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず・・・」(21節)「彼らが、神を知ろうとしたがらないので・・・」(28節)と、その原因が「神を無視したこと」であると書かれている。
最初は少しのズレだったかもしれない。しかし、そのズレは放置すると大きく、自分自身も思っていなかった所まで拡大する。だからこそ、人が越えることの出来なくなった裂け目を神の方から乗り越えて、私達の所まで来てくださった。それは、イエス・キリストの贖いによって救うためであった。
イエス・キリストは、私達の「今」の状態を教え、「神を神としない」という「罪の原点」に引き戻す。どんな「罪人」も神の目には高価で尊い。神の元に立ち返ろう。主は私達の帰りを待っておられる。(参考:エゼキエル18章30-32節)

的外れからの脱却 20190217 使徒の働き19章1-20節

パウロは、第三回伝道旅行で、エペソを拠点に伝道した。使徒パウロは、福音伝道とともに多くの奇跡を行った。病をいやし、悪霊も追い出した。パウロの奇跡をみて、形だけ真似た者たちがいたが、反対に、悪霊の反撃にあい、酷い目にあった。そのような物事を見聞きして、エペソの「イエスをキリスト」として受け入れた人々は、自ら行なっていた習慣を告白し、魔術を行なっていた者たちは、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その価値は、銀貨5万枚。かつて、悪霊を恐れていた者たちは、「主イエス」を恐れる者へと変えられた。ただ「主に従う」ことに価値を見出したのである。
「これが無くては生きていけない」と感じているなら、それは、その「モノ」に囚われている証拠である。主は私たちを「罪」から解放するために、この地上に来られた。「罪」とは「的外れ」な生活であり、神様以外のモノに頼ることである。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべてあたえられる。」という御言葉は真実である。

健康であるように祈ります 大槻主任牧師 20190120 [礼拝メッセージ]






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